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𣳾巖寺 二代目住職
カワハラ ケンシュウ
川原 憲秀
富山県南砺市福光町「宗善寺」の衆徒にして大正11年2月𣳾巌寺に入寺、その衆徒に転ず。同年9月法灯を継ぎ、二代目住職となる。当時の発展に寄与。又、各部落に講を結び聞法布教に努め、又、日曜学校、声明会を結成するなど仏教の推進に努めた。
昭和12年5月、大谷婦人会長の来道を機に支部の結成を見る。仏教の発展は子女の教養家庭平和の中心には主婦の深い信仰に基づく処大なれば、大谷婦人会𣳾巖寺支部を創設する。
尚、二世住職は昭和16年より司法保護司の嘱託を受け、刑余者の改心善導にも幾多の功を残したのである。同33年病の床につきその職を辞するまでの18年間力を尽した。
昭和20年4月宗教挺身隊として函館方面に収集を受け、7月に帰寺する。又、村内有志を集め、俳句の会を作り村内文化の発展に貢献するところ大なるものあり。
昭和35年5月25日、65歳にて命終。宗教家として力を残し、多くの偉業と影響を残して逝ったのであった。
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