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ここではお寺の分からないことに

答えていくQ&Aです。

なんだこれ?と思うことがあれば

是非ここを見てください。

随時更新していきます!

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お布施とは?

岩波書店の「広辞苑」には、「人にものを施(ほどこ)し恵むこと。僧に施し与える金銭または品物。」とあり、東京書籍の「仏教語大辞典」には、「あたえること。他に与えること。ほどこし。喜捨(きしゃ)。恵むこと。金や品物を与えることばかりでなく、親切な行いも布施である。信者が僧に財物を施すことを財施、僧が信者のために法を説くことを法施という。」とあります。

大乗仏教において、菩薩が覚りに到るために修める六種の修行(徳目)(六波羅蜜(ろくはらみつ)といいます)1・布施 与えること。それには財施(ざいせ)(衣服などを施すこと)と法施(ほうせ)(真理を教えること)と、無畏施(むいせ)(恐怖を除き安心を与えること)との三種がある。2・持戒(じかい) 戒律を守ること。3・忍辱(にんにく) 苦難に耐え忍ぶこと。4・精進(しょうじん) 真実の教えをたゆまず実践すること。5・禅定(ぜんじょう) 精神を統一し安定させること。6・智慧(ちえ) 真実の智慧を得ること。が説かれています。簡単に言えば、1・ほどこすこと。2・規律。3・たえしのぶ。4・努力。

5・落ち着き。6・学ぶ。ということです。これは仏道修行として説かれています。

「財施」というのは貪(むさぼ)る心とか欲しい心、恩に着せる心を離れて、お金や衣食などの物資を必要とする人に施すことを言います。「法施」とは、物質財物を与えるのではなく、教えを説いて聞かせるといった、相手の心に安らぎを与えること、精神面で尽くすことを言い、僧侶などが行うべき最も大切なことです。「無畏施」とは、恐怖や不安や慄(おのの)きなどを取り除き安心させることを言います。

「布施」というと、近年は僧侶に支払うお経料やお礼のように受け取られていますが、仏道修行の実践であるという本来の意味を、僧俗ともに見失っているのではないでしょうか?お坊さんとして改めて考えさせられますね。

月忌参りとは?

故人の「命終(みょうじゅう)された日」を「命日(めいにち)」といいます。

毎月の命日のことを「月(つき)命日(めいにち)」(月忌(がっき))といい、年に一度の命日を「祥月(しょうつき)命日(めいにち)」といいます。

たとえば7月22日に亡くなったとしますと、

毎月の22日が命日(月忌)

毎年の7月22日が祥月命日

何年かに巡りくる年忌(年忌法要)となります。

古来、命日は「忌日(きにち)」、つまり精進の日として家族が慎(つつし)みの生活を通して、個人を偲ぶ日として受け継がれてきました。(但し、死を忌(い)むという意味ではありません。)

 そして、真宗門徒には、命日にはお寺でお勤めを願うか、自宅のお内仏(ないぶつ)(お仏壇)でお勤めをいただく「月忌参り」の伝統があります。

また毎月の命日に僧侶を招いてお勤めを願う「月忌参り」で何よりも大切なことは、故人を通して家族の者が仏様の教えに遇うことで、故人のためだけにお経をあげているということではありません。

 なお、「命日」にはお内仏をきちんとお荘厳(しょうごん)(おかざり)をして、お勤めにあたっては、ご家族の手でお燈(とう)明(みょう)とお線香をあげることが好ましいといえます。

永代経とは?

永代経とは、永代にわたって(私の縁ある人々に)「お経」が伝えられていきますように、またその教えを伝える場としての「お寺」を守っていくための護持のためのものです。

よく永代にわたって(私が死んだ後も)先祖供養をお寺にしてもらえると認識されている方がほとんどでありますが、浄土真宗では先祖供養は一切いたしません。

宗祖親鸞聖人は「親鸞におきては父母の教養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。」とおっしゃっています。

お経やお念仏は、死んだ人がいいところに行ったり、安心して眠るための慰霊鎮魂の呪文ではありません。

私たち生きているものが、その一生を大切に生きていくために必要な教えです。

遠くインドでお釈迦さまから始まり、私たちがいまいる今日まで伝えられてきた仏法を私の大切な人たちに引き継いでいく大切な願いが永代経です。

定例法座とは?

𣳾巖寺では11月~4月までの間、毎月20日に法座がございます。

時間は1時~3時で定例の布教師より法話をいただきます。

また、午前中10時から一人ダンスなど楽しい催しも行っておりますので是非ご参加下さい。

お寺で出来ることとは?

宗派によっては、節分に豆を撒くお寺もありますし、お札を売っているお寺もあります。願(がん)をかけて一心に巡礼すれば、それが功徳になると謳(うた)っているお寺もあります。そうであれば、「信仰すればあなたの願いを叶えてあげます」ということですから、お寺は「お願いするところ」という事になります。あるいは、修行によって迷いの心を離れ、仏様の救いに少しでも近づきたいと一心に修行に励むところであれば、お寺は「修行するところ」という事になります。

しかし、ご存知の通り浄土真宗のお寺は、豆も撒きませんしお札(ふだ)も売ってはいません。ましてや険(けわ)しい山道を走りまわったり、冷たい滝にうたれるといった修行も致しません。

真宗のお寺は、唯(ただ)お念仏の教えが語られ、ご門徒さんと共に、その教えを我が身(生活)の上に聞き開くところだといってよいと思います。

選ばず、嫌わず、見捨てない如来の智慧(ちえ)によって、どんな時の自分も軽蔑(けいべつ)しないで嫌わないで大切に生きていく命の世界を教えられていくところだと思います。

お寺は葬式か法事の時くらいしか関係ないと思っていませんか?

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