2025年1月 住職
- taiganji
- 1月9日
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●新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
皆さんは新年を迎えられたことを「めでたい」と思っているでしょうか?
10年以上泰巖寺で法務を務め、ご門徒さんの皆さんと関わり合いを持つ中で、70歳だった方は80歳になり、80歳だった方は90歳になり、皆等しく年齢を重ねてまいりました。そして、老いの身や病の身を生きられているその口からは「ダメなものになった」と、皆さん口々に言葉を発せられます。「早く迎えが来ないかな…」「なんのために生まれてきたのかわからない」「なんのための苦労だったのか…」と。
●以前布教師の方のお話の中で「皆さん、こちらのお寺のご門徒ですから、仏教徒なわけですが、皆さんは仏様になりたいと思っていますか?」と質問され、「もしなれるとしたら仏様になりたいですか?王様になりたいですか?」と聞かれました。「旭川駅の前でテレビ番組のアンケートのようにフリップをもって「仏さまと王様どっちになりたいかシール貼ってください」と言ったらほぼ100%王様の方にシールを貼ることでしょう。」美味しいものを食べ、綺麗な服を着て、大きな家に住み、楽しみを求め、そこに明け暮れていく。実は私たちは王様の生活を手に入れるために懸命に生きてきたのではないでしょうか。
●釈迦族の王子としてお生まれになったゴータマシッタールタは、何不自由のない、言わば私たちの目指す生活そのものの中を生きられた中で「老病死を見て世の非常を悟る」と、王様の生活では解決のつかない問題の前に、道を求めて出家されました。
老い・病み・死んでいく身を生きている私にとっての本当の幸せとは何かということが仏教の課題であり、出発点なのです。
●懸命に生きてきた一生が「ダメなもの」として終わっていくのであれば、それこそ私たちの一生は空しく終わっていくのでしょう。
どんな自分を生きたとしても、今の自分を大切な自分であるといただけるために、どんな一生だとしてもかけがえのない一生であったといただくために、仏様の教えが開かれています。今年も一年。皆さんと共に教えを聞かせていただきたく思っております。