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  • taiganji

R4.1月号 住職

 新しい年が始まりました。何卒今年もよろしくお願いします。

 昨年末、永く病気を患っておられた御門徒さんが亡くなりました。お話を伺うと肺がんに始まって十二年になるそうです。お参りにお邪魔すると、ニコニコと出迎えて下さって、その明るさにいつも驚かされました。お盆に伺った時に、「体調はいかがですか?」とお尋ねしたら、「お医者さんから痛み止めはいくら飲んでもかまわないと言われたんですよ」と軽やかに仰られて、思わず言葉に詰まってしまいました。その言葉が何を意味するのか、どれほど不安な時間を過ごしてこられたのでしょう、私には想像することも出来ません。時間には時計で計れない、深さがあることをこの時教えられました。

 在家報恩講も一段落した十二月中旬に、坊守と揃って人間ドックを受信してきました。結果はまだ届いていませんが、糖尿病を患ってる私としては言葉にできない不安を抱えています。考えてみれば、ごまかしても、忘れていても、私の人生の砂時計は、休むことなく終わりの時に向かって進み続けています。そしてそれから漏れる人は一人もいません。

そんなことが頭の片隅にあったのでしょうか、一日の明け方、突然呼吸が出来なくなる夢を見ました。それはあまりにも苦しい夢で、私は夢の中で思わず「殺してくれ!」と叫んだのです。それにビックリして目が覚めました。

 私は御法話の中で、「私はどんなときの自分も大切に生きていきたい、それが命を生きる最後の仕事ではないですか?」などとお話するのですが、いざとなったらこの身を捨て去るような根性を抱えて生きている私、ご縁が催せばどんなことをしでかすかわからない私を生きているということでした。何か解ったことにしている私、これを「無明の凡夫」と宗祖は教えるのです。

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